ブログを書くときに、安全に批判できる対象かを測っている自分がいる
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tsuda : @gyaro_ti あまりにもチキン過ぎてこっちの方が情けなくなったよ。そんなレベルの感覚で、無自覚に人に発言の自由を奪うような物言いをするんだね。[permalink]
gyaro_ti : まだ言ってるのかよー。びっくりしたわ。もう絡まないからさー、@で名指しだけやめてくださいお願いします。チキンでいいっすよチキンでー。すみませんでした。もうほっといてくださいよマジで。お願いします。[permalink]
[追記]
@tsudaさんと@gyaro_tiさんによる建設的な意見のやり取りが行われたようです。詳しくは8月29日13時~8月30日03時頃の両氏のTwitterアカウントをご覧になってください。
津田大介 (tsuda) on Twitter
gyaro_tiぎゃろっち (gyaro_ti) on Twitter
はてなブックマークで、Twitterにおける@tsudaさんと@gyaro_tiさんの一連のやり取り(+@kanoseさんによる突っ込み)が程よい分量にまとめられた記事がブックマークを集めていた。
詳細は記事を参照して欲しいのだが、ざっくりあらましを話すと、ジャーナリストである津田大介氏こと@tsudaさんのTwitterでの発言に対して、@gyaro_tiさんがそれをあげつらって批判した際に、よもやの本人からの反論を受けて白旗を掲げたという騒動だ(@gyaro_tiさんがTwitterにおけるReply/RTの仕様をよく理解してなかったということもこの騒動において重要なファクターだ)。
ここまで大きな騒動(はてなブックマークにおいてhotentry入りするような騒動)になると思わなかった@gyaro_tiさんが、心中を自身のはてなダイアリーにおいて告白している。
はてぶでもさんざん言われてますが、感覚はテレビに出てる人に文句言ってる感覚でした。
RTとReplyは全然別物、という認識(これも自分の勝手な認識でした)で、RT=ただの引用、という認識でしかなく、本人に直接届ける気は全く無かったです。
フォロワーされてる数が多いからRTで名前出されても本人に届かないと思いました(これも自分の勝手な思い込みです)。
twitterのことは - gyaro-tiの日記
http://d.hatena.ne.jp/gyaro-ti/20090828/1251445607
この記事に対してid:KoshianXさんが
id:KoshianX へえ、やっぱ「TVに出てる人に文句言ってる感覚」だったんだ。なんでそういう感覚を持っちゃうんだろうね。不思議だなあ
はてなブックマーク - twitterのことは - gyaro-tiの日記
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/gyaro-ti/20090828/1251445607
という辛らつなブックマークコメントをつけるとともに、1本の記事を自身のblogに投じた。
「有名人は俺なんか見てないから何言ってもOK」という思い込みは何によってつちかわれたのだろうか。やはりテレビなのだろうか?
有名人も犯罪者も俺らと同じ場所にいる - 狐の王国
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090828/1251455654
どうも有名人だとか犯罪者だとかを、違う世界の住人のように捉えてしまう現象があるようだ。
有名人も犯罪者も俺らと同じ場所にいる - 狐の王国
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090828/1251455654
id:KoshianXさんは今回の騒動から、有名人や犯罪者(mediaによってスポットを当てられることになった個人)に対しての批判については鈍感なまでに乱暴な人たちがいるよね、いつ自分がその立場に置かれるかわからないのに、ということを語っている。
ここで自分なりに今回の騒動の@gyaro_tiさんの取った不覚ポイントをつらつらと挙げていこうと思う。
1、Twitterの発言を公開していると言う感覚が希薄だった
公開するということは「批判を甘んじて受ける」と言う気持ちが無くてはやってはいけない行為
第一に、@gyaro_tiさんがあまりにも、このTwitterにおける発言が(設定で非公開としない限り)万人によって見ることが可能であるということに対して、鈍感だったと言うことが挙げられる(加えて、RT/Replyの仕様を正しく把握してなかったことが彼にとって不幸だった)。
@gyaro_tiさんはブログでも「テレビに出てる人に文句言ってる感覚」と告白している。このことは、「まさか声が届くとは思わなかった」ということに他ならない。
2、議論への発展を嫌った(もしくは著名人相手と言うことでしり込みした)
「自分は何かを批判するけど、私を批判しないで」なんてご都合主義は、通らない
批判や反論......オトナの対処法は? - EKKEN♂
http://blog.goo.ne.jp/simauma_dx/e/a1ce06109d05c83ffdefdd4130cd97b9
@gyaro_tiさんが「RTは仕様上、相手のTLには表示されないであろう」と誤解をしていたとしても、@tsudaさんが@gyaro_tiさんに対して意見の表明(反論)をした時点で、それが誤解だったことは把握したはずだ。
ここで@gyaro_tiさんが議論をすることに臆せず、@tsudaさんとの意見のやり取りを行えば、もっと違った結末が@gyaro_tiさんには訪れていたはずだ。
3、もう一つの誤解、しかし危惧したことは現実に
@gyaro_tiさんが恐れたのは@tsudaさんの背後にいる1万人を優に超えるfollowerだった。
@yuriuri もうその人のフォロー外してるんでどうでもいいんですけどね。その人が自分のことわざわざ名指しで文句言う、ってことで、単純に自分が彼の12000人くらいいるフォロワーから敵視されて、なんかその間に知らん人にまでフォローされちゃってたてことでした。基本は流しで。
Twitter / gyaro_ti
http://twitter.com/gyaro_ti/status/3593805379
@gyaro_tiさんは、また一つ誤解をしていた。Twitterでの発言において、投稿の先頭に「@」をつけた発言。いわゆる「Reply」はそのReply先をfollowしてない限り個々のTimelineには表示されない。つまり12000人の@tsudaさんのfollowerの殆どは今回の@gyaro_tiさん宛の発言は見えてなかった(@tsudaさんのユーザページにアクセスすれば見ることは出来るのだが)のだ。
このやり取りが拡散した経緯は不明だが、ただ@gyaro_tiさんのfollowを興味本位で開始した人は実際に存在した。どういう事かというと、また、このやり取りは@kanoseさんに捕捉されていたのだ。
自分から批判しておいて、相手がそれに反論したら名指しで批判やめてくれっていう人が、津田さんを子供というのは喜劇過ぎる http://twitter.com/gyaro_ti/status/3595087445
Twitter / kanose
http://twitter.com/kanose/status/3596543703
この@kanoseさんによる投稿により2人のやり取りは多くの人の耳目を集める結果となっていた。(2人のやり取りが拡散した理由については推論です。より正確な情報をお持ちの方は情報をば!)2人のやり取りが拡散した経緯は不明だが、そのやり取りを捕捉した人物によりそして冒頭に挙げたまとめ記事がはてな匿名ダイアリー(通称:増田)に投稿されhotentry入りするという事態に至る。
0、僕はこの騒動から何を学ぶべきか
前置きを置こうとしていたら、そちらが主になってしまった。最後にこの騒動から自分が何を学ぶべきかを書こうと思う。
0-1、全ての人間が有するdis精神
元来僕はこのblogで批評(もしくは批判)めいたことからは距離を置いていた。
つまり炎上キライということに他ならない。政治・社会のことに限らず、ネット上には色々と炎上の火種が転がっている。そういう火種とは関わらずにすごして生きたい...(略)
僕が政治や社会情勢のことに関してあまり語りたがらない理由 - ただてとてとと歩きだす
http://tadateto.net/2008/10/28/0331.html
ネットに対して過度に敏感になっている人間の姿がそこにあった。
しかし誰が言ったか、どんな人間にも批評の精神はある。能力として出来るのではなくて、一人の人間として生きていく限り、そこに確固として「在る」。
政治のニュースに接して、芸能のゴシップに接して、会社で同僚と接して。日常を生きていく限り、情報や人と接する限りそこに何かを感じざるを得ない。物事のあり方、他人の言動に対して。何か自分の奥底で、それはほんのわずかな揺れかもしれないけれども、地殻が揺れる。別に普段からディスカッションの練習をしてなくとも、文章を書くトレーニングをしていなくとも「あれ?」「おかしいぞ」という「違和感」を感じる。
こうした「違和感」を放っておくのはたやすいかもしれない。けれどもそれを追求していくことによって、必死に言葉として起こそうとすることによって、はじめてその人間の個性と言うものが表出するんだと思う。
物事の批判(批評)から距離を置いた、僕のblogには「無個性な」記事が並んでいた。
0-2、disの作法
今回@gyaro_tiさん(ことid:gyaro-tiさん)のTwitterでの発言のログやはてなダイアリーでの記事/コメントを見るにつけて、少しうらやましくなった。
「彼はとても素直に自分の思いを言葉にしている。愚かなほどに」
@gyaro_tiさんはおそらくやり方を誤っただけな様な気がする。一緒にお酒を飲んだらきっと美味しいのでは、とも感じる。
では正しい、いや望ましい批判(批評)の仕方とは一体どういうものなのか。
0-2-1、実際にその人に面と向かって言えることを書く
id:o64vv4_2 なぜか、巨人の選手がうまく打てなかったり監督がよい采配をしなかった時に画面に向かって怒鳴っている父親を思い出した。ブログでカメラレビューとか書く自分も同じだ。メーカの人に面と向かって言えるのか?俺
はてなブックマーク - 有名人も犯罪者も俺らと同じ場所にいる - 狐の王国
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/KoshianX/20090828/1251455654
実際に面と向かっていえない類の言葉は「陰口」と変わらない。たとえ、その該当する人物に届かない記事であろうがつぶやきであろうが、「公開」しているからには「いざ対面して言えるか?」ということを意識するといいかもしれない。
0-2-2、批判する対象そのものと、その背景を出来るだけ理解しようと務める
他人の考え方や思想や学説等を批判するには、それらをまず理解することから出発するのが、批判者の守るべき第一の、最小限の規範的態度である。(中略)批判の対象たる言明を理解するとは、それらの知的バックグラウンドすべての文脈のなかで当の言明を理解するということ(略)
平井宜雄「内田貴教授著『契約法学の「再構築」をめぐる覚書』を読んで(下)」
NBL690号34頁以下カブトムシ : 正しい批判の仕方
http://espans.exblog.jp/5868769/
見当違いな批判(批評)になることを防ぐために、対象そのもの(と、その背景)に対する理解を深めることが必要だ。批判(批評)する対象が人間であるときは、その人を尊重することに繋がる。批判(批評)するには対象への「愛」が必要とは時折聞く言説だが、その通りなのかもしれない。
0-2-3、安全に批判できる対象かを測るのではなく、自分の書く言葉を堅固にする
ここでやっと記事タイトルと交差する。自分はいつも記事を書くときに「安全に批判できる対象か」を念頭においていたように思う。しかしそれは逃げでしかない。
安全地帯に身を置くことでなく、自分自身(の言葉)を堅固にする(ここでの意味は論理で言葉を固めることではなく、あくまで自分で納得できるまで熟成させたか、考えたかということにポイントを置きたい)ことが重要なんだろうな、と思う。
0-2-4、それでも...もし完膚なきまでに叩きのめされたら
その時は・・・

この精神で行けばいいと思う!(おそまつさまでした)